厳島神社は日本三景の一つ「安芸の宮島」に位置する、まるで海に浮かんでいるかのような独特な神社。この神社の鳥居がなぜ海上に漂っているかのように見えるのかや、倒れないことを不思議に思う方も多いことでしょう。
また、「そもそも厳島神社とは」や「いったい誰が建てたのか」といった歴史的背景や、平清盛との関係など興味深いテーマもたくさんあります。
朱色に彩られた鳥居には、その色が持つ神聖な意味と見た目だけではない理由が存在します。そして、世界遺産に選ばれた理由や、この神聖な地における独特のタブーについて知ることで、厳島神社の持つ文化的価値と宗教的な重要性がより深く理解できるでしょう。
この記事では、厳島神社の鳥居にまつわる建築的な工夫やその歴史的な背景などについて詳しく解説します。初めて訪れる人はもちろん、何度も訪れたことがある方にも新たな発見がある内容です。
ぜひこの記事を通じて、厳島神社の魅力を存分に感じてください。
本記事の内容
- 厳島神社の鳥居が海に浮いているように見える理由とその仕組み
- 厳島神社の歴史や建築技術、そして平清盛との関係
- 鳥居が倒れない理由や赤く塗られている背景
- 厳島神社が世界遺産に選ばれた理由や守るべきタブー
厳島神社の鳥居は浮いている?:建築の秘密
厳島神社とは
厳島神社(正式には嚴島神社)とは、日本三景のひとつ「安芸の宮島」に位置する、海上に建つ独特の神社。この神社は593年に創建され、長い歴史の中で日本の宗教的、文化的シンボルとしての地位を築いてきました。
その魅力は、社殿が満潮時に海に浮かんでいるように見える建築様式や、歴史的な背景、そして豊かな自然環境にあります。
厳島神社が特に注目されるのは、海上に直接建てられているということです。社殿や大鳥居が海に接している理由は、この島自体が神聖な場所とされてきたため。
土地を傷つけないよう、神社を海の上に建てるという設計が選ばれました。この設計により、島全体が信仰の対象として保存され、現在もその姿を留めています。
厳島神社は日本の宗教文化における重要な遺産でもあります。平安時代以降、仏教と神道が共存する「神仏習合」の考え方が浸透し、厳島神社もその影響を受けました。
しかし、明治時代の神仏分離令により、現在は神道のみの施設として運営されています。この歴史的な変遷は、厳島神社がいかに長い時代を経てきたかを物語っています。
また、1996年には世界遺産に登録され、その建築的な価値と歴史的意義が国際的にも認められました。建物の設計には、波の力を分散させるための隙間を設けるなどの工夫が施されており、自然災害に対する知恵も込められています。
これらの点から、厳島神社は建築技術の高さや自然との調和を示す象徴的な存在と言えます。
厳島神社は、信仰の場としてだけでなく、観光地としても多くの人々を引きつけています。穏やかな瀬戸内海の風景とともに、訪れる人々に感動を与える神社。
その魅力をより深く理解するために、歴史や建築技術について知識を深めることをおすすめします。
誰が建てた
厳島神社は、593年に地元の豪族であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)によって創建されたと伝えられています。
この創建は、神鴉(からす)による神の導きがきっかけだったとされ、厳島という島が古くから神聖視されていたことを物語っています。当時、島全体が信仰の対象であり、その中心として神社が築かれたのです。
一方で、厳島神社を現在の壮麗な姿に拡張したのは、平安時代の武将である平清盛です。1168年、平清盛は瀬戸内海の航路を活用した日宋貿易を発展させる中で、厳島神社を厚く信仰しました。
その結果、神社は壮大な寝殿造の形式を取り入れることになり、現在の社殿や回廊が完成。この時期に設計された海上建築の様式は、厳島神社の大きな特徴となっています。
平清盛が厳島神社に深い敬意を持っていた理由は、単なる信仰に留まりませんでした。清盛は出世祈願のために厳島神社を訪れ、願いが叶ったことから強い縁を感じ、神社の整備を進めたと言われています。彼の宗教的信仰と実際の政治的背景が、厳島神社の発展に寄与したのです。
創建時の厳島神社は現在のような規模ではなく、島内の信仰の中心地として小規模に建てられたものでした。その後、平清盛や毛利元就など、歴史を彩る多くの人物が関わることで、徐々に壮麗な姿に変貌。
例えば、毛利元就は厳島の戦いで勝利した後、大鳥居を再興し、社殿を整備するなど、神社の維持に大きく貢献しました。
このように、厳島神社の創建には地元の豪族と歴史的な武将たちの信仰が深く関わっており、長い年月を経て現在の姿へと進化してきました。この背景を知ることで、神社に込められた多くの想いとその歴史的価値をより深く感じられるでしょう。
厳島神社の鳥居はなぜ倒れないのか
厳島神社の大鳥居は、その壮大な姿とともに、非常に独特な構造を持っています。一見すると海に浮かんでいるように見えますが、当然そんなことはありません。その仕組みは精巧な計算に裏打ちされています。大鳥居が倒れない秘密は、設計と素材の選定に隠されています。
大鳥居は地面に埋め込まれていません。基礎部分には石が敷かれ、その上に巨大な柱が自重だけで立っています。これは、地中に固定することで力の逃げ場がなくなるのを避けるため。
柱が固定されていないことで、地震や強風が発生した場合でも、鳥居全体が揺れることで衝撃を吸収し、倒れにくくなっています。
さらに、大鳥居の上部は箱型になっており、その中には重しとして玉石が詰められています。この石の重さが柱全体の安定性を高め、波の力や風の抵抗にも耐えることができるようになっています。石が重心を下げる役割を果たし、鳥居全体を安定させているのです。
素材にも特別な工夫が。主柱に使われているのは耐久性が高いカシの木。この木材は海水に強く、腐りにくい特性があるため、長期間にわたって鳥居の美しさと強度を保つことができます。また、定期的な修繕や塗装が行われており、風雨や塩害から鳥居を守る努力が続けられています。
海底部分の地盤にも工夫があります。鳥居が建てられている場所は、地盤が不安定な砂地ですが、その下には「千本杭」と呼ばれる数十本の杭が埋められています。
この杭が砂地を補強し、鳥居の重さを支えています。これにより、大鳥居は海の中にしっかりと立ち続けることが可能になっているのです。
このように、厳島神社の大鳥居は、計算し尽くされた構造と自然の力を利用した設計によって、倒れることなく立ち続けています。自然との調和を考えた設計が、何百年もの間、この鳥居を支え続けてきたのです。
平清盛との関係
厳島神社と平清盛の関係は、単なる信仰を超えた深い結びつきを持っています。平清盛は平安時代末期に活躍した武将で、日宋貿易を推進したことでも知られています。その平清盛が、厳島神社の発展に大きな影響を与えたのです。
清盛は、厳島神社を非常に重要視し、現在の壮麗な社殿を築き上げました。彼が厳島神社に惹かれた理由の一つにあったのは、神社が瀬戸内の航路を守る海上交通の神として信仰されていたということ。
日宋貿易を重視していた清盛にとって、瀬戸内海の安全は欠かせないものでした。そのため、清盛は厳島神社に多額の資金と労力を投じ、海上交通の守護神としての神社を支援しました。
また、清盛は厳島神社を日本文化の中心地としても位置づけました。当時の平安時代では、寝殿造と呼ばれる貴族的な建築様式が流行していましたが、清盛はこの様式を厳島神社に取り入れることで、神社を文化的にも政治的にも重要な場としたのです。
この寝殿造の特徴は、海上に浮かぶような回廊や舞台を持つデザインであり、現在の厳島神社の美しい景観の基礎となっています。
清盛が厳島神社を支援した背景には、彼自身の信仰もありました。清盛は厳島神社に祈願し、その後に大きな出世を果たしたとされています。
この経験から、清盛は厳島神社を自身の守護神として崇敬し、その発展に尽力。このような信仰と実利が絡み合った結果、厳島神社はその後の日本文化や信仰に大きな影響を与える存在となりました。
厳島神社と平清盛との関係は、神道と政治、経済が密接に結びついた例として歴史的に非常に興味深いもの。清盛の支援がなければ、今日のような厳島神社の姿は存在しなかったかもしれません。
このつながりを知ることで、厳島神社を訪れる際の感慨も一層深まるでしょう。
工事は終了したのか
厳島神社の大鳥居をはじめとする建築物は、長い歴史の中でたびたび改修工事が行われてきました。現在の大鳥居は、明治8年(1875年)に再建されたものであり、140年以上が経過。
2022年9月時点では、大規模な改修工事が進行中でしたが、その工事はすでに終了しているのでしょうか。
まず、厳島神社の工事が必要とされる背景には、海に接する独特の立地条件があります。海水による塩害や潮の満ち引き、さらに台風や大波などの自然現象が、建築物の耐久性に大きな影響を与えるから。
このような厳しい環境下で維持されている大鳥居は、定期的な修繕や補強が欠かせません。
2022年の改修工事での主な作業内容は、大鳥居の屋根部分の修繕や柱の補強。工事期間中は、大鳥居が覆いで囲まれる状態になり、観光客はその全貌を見ることができない状況が続きました。
しかし、こうした大規模な工事を経て、大鳥居は再びその壮麗な姿を取り戻しました。
2024年現在、厳島神社の大鳥居の改修工事は無事に終了しています。工事完了後は、長期間にわたる劣化が修復され、さらに安定した状態で訪れる人々を迎えています。
この工事は単なる修繕ではなく、伝統的な建築技術を継承しつつ現代の技術を取り入れることで、次の世代へと大鳥居を引き継ぐための重要な取り組みでした。
また、工事が終了した現在でも、定期的な点検とメンテナンスは欠かせません。大鳥居を含む厳島神社全体の保存には、技術者たちの絶え間ない努力が続けられています。
このような背景を知ることで、訪問する際に建造物の価値や職人たちの情熱をより深く感じることができるでしょう。
神社の鳥居はなぜ赤いのか
日本の神社を訪れると、多くの鳥居が鮮やかな朱色をしていることに気づくでしょう。厳島神社の大鳥居も同様に赤く塗られ、その色が訪れる人々に強い印象を与えます。この朱色には、単なる美観を超えた意味や機能が含まれています。
鳥居が赤い理由の一つに、防腐効果があります。朱色の塗料には「光明丹(こうみょうたん)」という鉱物が含まれており、この成分には防腐効果があるとされています。
厳しい自然環境にさらされる木材の鳥居にとって、この塗料は腐敗や虫害を防ぐ役割を果たしているのです。厳島神社のように海水と接する鳥居では、特にこの防腐効果が重要とされています。
朱色は神聖さを表す色でもあります。古代の日本では、赤は魔除けの力があると信じられてきました。そのため、神社の鳥居を赤く塗ることで、外部からの悪霊や邪気を防ぐ意味が込められているのです。
この考え方は、日本の伝統的な建築や装飾において広く見られるものであり、厳島神社の鳥居もその例外ではありません。
また、朱色は自然の中で目立つ色でもあります。青い空や緑豊かな山々、そして瀬戸内海の穏やかな水面の中で、赤い鳥居は鮮やかに映え、訪れる人々の目を引きます。
特に満潮時には、海面に映り込む朱色が幻想的な景観を生み出し、厳島神社の象徴的な存在感をさらに高めています。
このように、神社の大鳥居が赤い理由には、防腐効果、神聖さの象徴、そして視覚的な美しさが込められています。これらの要素が重なり、赤い鳥居は単なる建築物以上の意味を持つ存在となっています。
その背景を知ることで、鳥居を見る目がさらに深まることでしょう。
厳島神社の鳥居は浮いている?:風景を楽しむ
海に浮いているように見える理由
厳島神社は、一見すると海に浮かんでいるように見える独特の神社です。特に満潮時には、大鳥居や社殿が水面に映り込むことで幻想的な景観を生み出します。
このため、「厳島神社は海に浮いているのか?」と疑問に思う方も多いでしょう。
実際には、厳島神社が海に浮いているわけではありません。建物は堅固な基礎の上にしっかりと建てられています。社殿の土台部分は、安定した岩盤の上に設置されており、木製の柱が礎石の上に立つ構造。
この礎石と柱は固定されておらず、波や風の力を逃がすことで倒壊を防ぐ工夫が施されています。
また、回廊の床板にはわずかな隙間があり、大波や台風の際に波の圧力を分散させる仕組みがあります。この設計により、社殿全体が水面に近い状態でありながらも、自然の力に柔軟に対応できる構造になっています。
それでは、なぜ「浮いているように見える」のでしょうか。その理由は、建物の配置と潮の満ち引きにあります。厳島神社は、瀬戸内海の遠浅の海域に建設されており、満潮時には建物の基礎部分が海水に浸ります。
これにより、社殿や大鳥居があたかも水面に浮かんでいるかのような視覚効果が生まれるのです。
さらに、朱塗りの建物や鳥居が青い海と緑豊かな背景と対比することで、浮遊感がより強調されます。特に夕暮れ時や夜間のライトアップの際には、その美しさがさらに際立ちます。
厳島神社の「浮いているように見える」設計は、自然との調和を追求した結果であり、日本建築の美意識を示すもの。この特性が多くの観光客を引きつけ、神社の神秘的なイメージを形作っています。
訪れる際には、この巧妙な設計と自然との絶妙なバランスをぜひ感じてみてください。
世界遺産に選ばれた理由
厳島神社が世界遺産に登録されたのは1996年のことでした。その登録理由は、建築的、歴史的、文化的な観点から高く評価されたため。ここでは、厳島神社が世界遺産に選ばれた具体的な理由を解説します。
まず挙げられるのは、厳島神社の建築的価値。この神社は、海上に建つ珍しい木造建築物であり、その設計には自然と共存するための高度な工夫が凝らされています。満潮時には海に浮かんでいるように見えますが、実際には堅固な基礎の上に建てられています。
また、回廊や舞台の床には隙間が設けられており、大波や台風の際に波の力を分散させる仕組みがあります。こうした設計は、自然との調和を重視する日本建築の象徴といえます。
次に、歴史的価値について。厳島神社の創建は593年に遡り、その後、平安時代には平清盛によって現在の壮麗な姿が整えられました。
清盛は、瀬戸内海の航路を守る神として厳島神社を信仰し、社殿を貴族的な寝殿造の形式で再建。この歴史は、日本の政治や文化における重要な転換期と密接に関わっています。
厳島神社は宗教的意義も大きなポイントです。この神社は、宗像三女神を祀り、古代から海上交通の守護神として信仰されてきました。
また、神仏習合の時代には仏教とも深く結びつき、特に平安時代から鎌倉時代にかけては全国的な信仰の対象となりました。この宗教的多様性とその後の神仏分離による変遷が、世界遺産としての価値をさらに高めています。
最後に、文化的価値です。厳島神社は単なる建築物ではなく、日本の伝統文化や芸術を象徴する存在。管絃祭などの神事や祭りが現代まで受け継がれており、その儀式は日本文化の豊かさを体現しています。
また、自然との調和を追求した美しい景観が訪れる人々を魅了し、国内外で高い評価を得ています。
これらの理由により、厳島神社は「人類の創造的才能を表現する傑作」「歴史上重要な時代を例証する建築物」として、世界遺産にふさわしい価値を持つとされています。
この背景を知ることで、厳島神社を訪れる際の感動がさらに深まるでしょう。
厳島神社のタブーとは
厳島神社は、日本三景の一つ「安芸の宮島」にある神聖な神社です。そのため、訪問時には独自のルールやマナーが存在します。
これらを守ることで、神聖な空間を尊重し、他の参拝者や地域住民との調和を保つことができます。厳島神社のタブーを理解しておきましょう。
まず、宮島全体が「神の島」とされていることから、島内での行動にはいくつかの制限が加えられてきました。例えば、宮島ではお墓を作ることや、出産をすることが禁止に。これは、島全体が神域と考えられ、生命の誕生や終焉を扱う行為が神聖な領域を侵すと考えられていたため。
現在ではそのような厳しい制限は緩和されていますが、この歴史的背景を理解することで、島の特別な意味を感じ取ることができます。
次に、厳島神社の参拝時には、鳥居をくぐる際のマナーに注意が必要です。鳥居は神域と外界を分ける象徴であり、ここを通過する際には一礼をするのが礼儀とされています。
また、鳥居の中央は神様の通り道とされているため、左右の端を歩くようにしましょう。これを知らずに中央を歩いてしまうと、他の参拝者から失礼と見なされる可能性があります。
さらに、神社内では静かに振る舞うことが求められます。厳島神社は多くの観光客が訪れる場所ですが、単なる観光地ではなく、神聖な場。
大声を出したり、走り回ったりする行為は控えましょう。写真撮影も可能ですが、神職や参拝者の迷惑にならないよう配慮が必要です。
また、島内の鹿に餌を与えることは避けてください。宮島では鹿が神の使いとされ、大切にされていますが、餌を与える行為は野生の鹿の健康を害する可能性があります。自然の生態系を守るためにも、餌やりは禁止されています。
厳島神社を訪れる際には、これらのタブーを心に留めておくことで、神聖な空間を尊重し、充実した参拝体験ができるでしょう。島全体が神聖視されていることを理解し、訪問者としての責任ある行動を心掛けることが大切です。
アクセス方法
厳島神社へのアクセス方法は、広島県廿日市市の宮島口から宮島に渡るルートが一般的。宮島は島全体が観光地であり、厳島神社を訪れるための交通手段も非常に整っています。以下に、アクセス方法を詳しく解説します。
まず、宮島に渡るためにはフェリーを利用します。フェリーは宮島口桟橋から出発しており、所要時間は約10分。フェリー会社は主に2つあり、JR西日本宮島フェリーと宮島松大汽船が運航。
どちらのフェリーも料金や所要時間はほぼ同じですが、JR西日本宮島フェリーはJRの乗車券と組み合わせることで便利に利用できます。
宮島口桟橋へは、広島市内や近隣の主要都市からアクセス可能。電車を利用する場合、JR山陽本線の宮島口駅が最寄り駅となります。広島駅からは約30分で到着します。
一方、広島電鉄の広電宮島口駅も徒歩圏内にあり、こちらは広島市中心部からアクセスする観光客に便利です。
車でアクセスする場合は、山陽自動車道の廿日市ICまたは大野ICが最寄りのインターチェンジです。宮島口周辺には駐車場が複数ありますが、観光シーズンには早朝から満車になることが多いため、公共交通機関の利用が推奨されます。
なお、フェリーに車両を乗せることもできますが、宮島内では車を使わないことを考慮するとあまり必要ないでしょう。
宮島に到着後は、厳島神社まで徒歩でアクセスできます。桟橋から神社までの道のりは約10分で、商店街を通るため観光を楽しみながら移動できます。
道中には土産物店や飲食店が並んでおり、宮島名物のもみじ饅頭や穴子飯などを味わうこともできます。
訪問時間帯にも注意が必要。フェリーの最終便は21時頃が多いため、帰りの時間を計画的に調整してください。また、満潮時と干潮時では厳島神社の景観が大きく変わるため、訪れるタイミングによって異なる楽しみ方ができます。
このように、厳島神社へのアクセスは電車やフェリー、車など多彩な手段が用意されており、観光客にとって非常に便利です。事前に計画を立てて、快適な旅をお楽しみください。
周辺の観光スポット
厳島神社周辺には、魅力的な観光スポットが多数点在しています。神社の参拝後に訪れることで、宮島全体の魅力をより深く感じることができるでしょう。以下では、厳島神社周辺で特におすすめの観光スポットをご紹介します。
まず訪れたいのが「弥山(みせん)」です。弥山は宮島の中央に位置する標高535メートルの山で、島全体が信仰の対象とされてきた歴史を持っています。弥山山頂からは瀬戸内海を一望でき、その絶景は訪れる人々を魅了します。
山頂まではロープウェイを利用するのが一般的ですが、体力に自信がある方は徒歩での登山もおすすめ。途中には「霊火堂」や「干満岩」などの七不思議があり、歴史的・文化的な見どころが満載です。
次に挙げられるのが「五重塔」です。この朱色の美しい塔は、室町時代に建立されたものとされ、国の重要文化財に指定されています。
厳島神社からすぐ近くに位置しており、神社とともに訪れることで建築の違いや歴史的背景を比較して楽しむことができます。特に、青空や夕焼けを背景にした五重塔は写真映えするスポットとしても人気です。
また、「千畳閣」と呼ばれる豊国神社も見逃せません。この大きな建物は、豊臣秀吉が建立を命じた未完成の大経堂で、広大な床面積を持つことから「千畳閣」と名付けられました。
広々とした空間で厳島神社とは異なる趣を感じられるため、訪れる価値があります。
そのほかにも、厳島神社から少し足を伸ばせば「紅葉谷公園」もおすすめ。この公園は秋には鮮やかな紅葉が楽しめる名所であり、散策するだけで四季折々の自然の美しさを堪能できます。
宮島全体が見どころの宝庫とも言える厳島神社周辺。歴史的建造物と自然が調和したこれらのスポットを巡れば、訪問がより充実したものとなるでしょう。
周辺のグルメ
厳島神社周辺には、宮島ならではの名物料理やスイーツを楽しめる飲食店が数多くあります。参拝や観光の合間に立ち寄ることで、地域の味覚を存分に堪能できるでしょう。以下では、特におすすめのグルメをご紹介します。
まず、宮島を訪れたら一度は味わいたいのが「焼き牡蠣」。広島は全国有数の牡蠣の産地として知られており、宮島では新鮮な牡蠣をその場で焼いて提供する屋台や店舗が軒を連ねています。
炭火で焼かれた牡蠣は香ばしく、ジューシーな味わいが特徴です。また、冬場は特に旬を迎えるため、一層美味しくいただけます。
次に挙げられるのが「穴子飯」です。ふっくらと蒸された穴子をタレで味付けし、白ご飯の上に載せたこの料理は、地元の特産品を使った絶品の一品。
多くの専門店があり、それぞれの店舗で味わいに違いがあるため、食べ比べてみるのも楽しみ方の一つです。
スイーツ好きには「もみじ饅頭」が外せません。もみじ饅頭は、カステラ生地の中に甘い餡が詰まった宮島の代表的な名物菓子です。最近では、餡の種類が増え、チョコレートやクリーム、抹茶などバリエーション豊富に楽しめます。
島内の店舗で焼きたてを味わえるお店もあるので、ぜひ足を運んでみてください。
軽食としては「揚げもみじ」もおすすめです。これは、もみじ饅頭を揚げてサクサクの食感を楽しめるスナックで、歩きながら気軽に味わえる一品です。
最後に、島内のカフェや飲食店では、地元食材を使ったオリジナルメニューも提供されています。瀬戸内レモンを使ったスイーツや広島産の野菜を使った軽食など、宮島らしい味覚を満喫できます。
厳島神社周辺で味わえるグルメは、歴史や自然の美しさとともに訪れる人々にとっての特別な体験を提供します。観光の合間にぜひ地元の味を堪能してみてください。
まとめ:厳島神社の鳥居が浮いてるように見える理由
- 厳島神社は瀬戸内海に浮かぶように見える独特の神社である
- 大鳥居は自重で安定しており、地面には固定されていない
- 鳥居の上部には玉石が詰められ、重心を安定させている
- 回廊の床には隙間があり、波の圧力を逃がす設計となっている
- 神社は島全体を神聖視し、海上に建築された
- 593年に佐伯鞍職によって創建された
- 平清盛が神社の拡張と寝殿造様式の導入を推進した
- 神仏習合の影響を受けたが、明治時代に神道のみの施設となった
- 厳島神社は1996年に世界遺産に登録された
- 瀬戸内海の潮の満ち引きが神社の景観を変化させる
- 弥山をはじめとする周辺の自然が神社の魅力を高めている
- 防腐効果のある朱色が神社の鳥居を守る役割を果たしている
- 宮島全体に「神の島」としての厳格なルールが存在する
- 定期的な改修工事が行われ、大鳥居も2024年に修繕が完了した
- 歴史的な背景と建築技術が観光客を引きつける魅力となっている
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